ヤン・ファン・エイクを

ご存知ですか?

これは絵です。

「ティッセンの受胎告知」

​1437年ごろ 

油彩 板 各39x24cm

 ファン・エイクの絵を見ていると、彼が生きた中世ヨーロッパに紛れ込んだような気分になる。そこには、目を見張るような細工が施された調度品があり、肌ざわりのよい上質な衣装をまとった人物がたたずんでいる。鏡や鎧は、周囲の風景を映し出し、庭の噴水は清らかな水音を響かせている。こうした驚異的な細密描写とたくみな質感表現によって、私たちは視覚をとおして、触覚、聴覚まで刺激され、画面のなかの世界を体感することになるのです。
 さらに、ファン・エイクは、主題を取り巻く背景にちょっとした「仕掛け」をすることにより、私たちの視線を画面の奥へと引き込むように仕向けている。主題からふと目をそらすと、そこには威嚇するようにこちらをにらみつける猫がいたり、背中を向けてなにかを見ている人がいたりする。あるいは、主題の向こうに広がる美しい風景に、自然と目が向かうような構図がとられている。
 それらのものに目を奪われた瞬間に、私たちは、「絵画」と「現実」の境界を越え、画面のなかに入り込んでいるのです。一見、きまじめで堅苦しく思えるファン・エイクの絵には、画家のいたずら「遊び心」や「悪戯」がちりばめられている。それらの 「仕掛け」が、質感表現を伴う細密描写により、このうえなく本物のように見えるからこそ、私たちはファン・エイクの絵を体験できるのだろうと思います。向こう側にあると思った世界に、いつの間にか自分が入り込んでいる。それがファン・エイクの絵の醍醐味なのです。

 この画家、ヤン・ファン・エイクは1390年に現在のベルギーとオランダの国境近くの村で生まれた言われています。イタリアルネサンス初期の時代に既にこのような画家が活躍していたことは大変な驚きです。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロよりも60年以上も前の画家なのですから。

下の作品は「アルノルフィーニ夫妻の肖像」ですがこの作品にもヤン・ファン・エイクのいたずらが描かれています。

「アルノルフィーニ夫妻の肖像」

​1432年 油彩 板 82.2x60cm

「中央上部」

 この絵は、裕福なカップルが結婚の誓いを立てている場面であるとされている。登場人物は男女二人のはずなのだが、画面の奥、部屋の壁に掛けられた凸面鏡を見ると、手を取り合う男女の後ろ姿に加えて、二人の前方にあたる部屋の扉口に、ターバンを巻いた二人の人物が描かれています。そして凸面鏡の上部の壁に「ヤン・ファン・エイクがここにありき1434年」と書かれていることから、ファン・エイクが結婚立会人のひとりとしてその場にいたことがわかる。
 目に映るものはなんでも見えたままに描こうとするファンーエイクのことだから、たまたま部屋に掛けられていた凸面鏡と凸面鏡に映った自分の姿まできちょうめんに描いた、という可能性も考えられる。しかし、画面に配置された数々の静物は、一見、あるがままを写実的に描写したように見えるものの、じつはそれぞれに意味が込められているのです。
シャンデリアに一本だけともされたろうそく、犬、脱ぎ捨てられたサンダルなどはみな、キリスト教における婚姻や貞節を象徴するものなのです。

下の画像は「ファン・デル・バーレの聖母子」の一部です。

この作品の見どころは「聖母子」という主題ではなく描写の緻密さです。

白い衣服の老人は寄進者のファン・デル・バーレですが、その表情に現れるしわや血管までもが極めてリアルに描かれています。右の人物は守護聖人、聖ゲオルギルス、この人物の鎧兜の描写もまた緻密極まる表現で作品を完成させるまでに多くの日数を費やしたことが想像できます。画家の精神力の強さには感心してしまいます。人間の肌や髪、布や金属等の質感が素晴らしい。

「合唱する天使」部分

木彫りの譜面台の中央で、竜を退治しているのは、「最後の審判」で死者の魂を計量するとされる大天使ミカエル。足に絡みつく竜、甲胃の飾り、髪のウエーブといった細かい部分まで克明に描写されており、思わず、絵画であることを忘れ木工職人の腕を称えたくなるほどです。さらに、木彫家具から目を下に移すと、床には、当時スペインから輸入されていたマジョルカ炊きのタイルが敷きつめられている。白地に鮮やかな青で描かれているのは、ヘブライ語で「汝、永遠に強し、万軍の主よ」を意味する神学的な意味をもつ模様を眺めていると、タイルのひんやりとした心地よい感触が足裏に伝わってくるようです。

[ロランの聖母子」

1435年ごろ 油彩 板

​65x62.3cm

 遠近法になじんだ今日の私たちにとって、上の作品「ロランの聖母子」の風景表現は、ごく自然に見える。だが、この絵が措かれた15世紀において、このような奥行きと広がりをもった風景表現はきわめて革新的だった。
 というのも、それまでの絵画では、地形的に高い場所は画面の上部に、低い場所は画面の下部に措かれる決まりだった。たとえば、平地に立つ人物の背景として川と山を描き入れるとしたら、低い地点に位置する川が画面下方に、川よりも高い地点に立つ人物が画面中央に、そして、人物よりも高い地点に位置する山が画面上方に描かれるというわけだ。さらに、画面のなかの上下は、モティーフの階級の高低にも一致しており、人間が神や聖人よりも画面の上部に描かれることはなかった。つまり、モティーフは画面上に水平の層をなすようなかたちで、地形の高低、階級の高低に応じて、平面的に並べられていたのである。しかし、この作品では主題の中央に川が流れており、遠くの山も手前の人物の顔のあたりにありやや見下ろすような構図となっている。

そして、もっと面白いのは画面中央の奥にいる二人の人物だ。何やら遠くを眺めているように見える。

​下の図は彼らの視線の先にある光景だ。なんと、山のすそ野にある家が燃えているではないか、それを見ているたくさんの野次馬が橋の上や船の上にも。

この作品を観る者はロランと聖母子から中央の二人の人物へ、そして橋の上の野次馬へ、最後にその先の火事場へと絵の中に引き込まれてゆく。

​緻密に計算された遊び心には脱帽。

 

ヤン・ファン・エイクの遊び心にすっかりはまってしまった。

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